見ると自信の湧く模型製作ブログ

1/72ヒコーキ、1/35フィギュア・AFV、たまに読書です

1/72 ハセガワ Spitfire Mk.Ⅰ (1)忘れてましたぁ~💦

 

焦りました、毎年恒例?のBoB(Battle of Britain)祭りの事を💦

7月10日から始まっているのに、それに気付いたのが何と8月になってから!

すっかり忘れていたのです(;'∀')

如何に体調不良(帯状疱疹&神経痛)に悩まされ、

孫のお守りで毎日テンヤワンヤだったとしても、

蛇の目好きとしては、これは許されざる大失態です(-_-;)

それで今更ながら『こ~で、堪えてつか~さぃ(これで、許して下さい)』と

急遽引っ張り出してきたのが、書棚の上に放置していたこのハセのスピットなのです

オクにハマっていた頃、購入したものです

セガワのスピットファイアは、それまでお目に掛かった事がなく

コレはと思い落札したのですが、いや~想像以上に古いキットだった訳で(笑)

組説とは別の、組み立てについての一般的な注意事項が書かれている用紙には

『1990』という西暦がプリントされていましたが、絶対もっと古いぞ状態

まっ、とにかく時間がないし、他に1940年頃飛んでいた手持ちキットは

AIRFIXの新デファイアントだけ、

これはちょっと思うところが有って、今回は使わない、使えないのです

で、なんのイメージもわかないまま、

オールドスピットで取り敢えず凌ごうと、とっかかり始めた訳でして(^^;

 

組説です

表裏印刷折り畳みです、いや~シンプル(笑)でも時間が無いから助かる(^^;

 

実はこれ、入手してから程なく手を付けていたのですが、

デカールが全滅(1週間水に漬けていても台紙から剥離しなかった)で

そこで嫌気がさし放置していた物なのです(-_-;)

 

デカールは幸い手持ちのXTRADECALの中に、

1940年9月時のNo92Sqnの機体が有りましたので、これを使う事に決定

というか、それしか手がない( ̄▽ ̄;)

 

この機体はOSPREYの

”世界の戦闘機エース7 スピットファイアMkⅠ/Ⅱのエース1939-1941”のP45に

1940年8月時としてカラー塗装図が描かれてありました

1940年8月時で基地名はエクストラと違いますが、機体番号が同じ”N3249”なので

間違いないと判断しました。

正直申しますと、キットのデカールには『キーウィ』マークの

ホーンチャーチ基地 N54Sqnのアラン・ディーア少尉の機体(KL◎B)があり

本当はコレにしたかったのですが、まぁ仕方ありませんね

 

てな訳でデカールの問題が解決したので、組み立てに邁進?

コックピットを組み立てて機体と合体

 

飛行状態にするため、車輪も主翼に貼り付けます

別に削って薄くする必要もなく、そのままペタリでした

 

スピットのシートベルトは後方のフレームまで伸びており、

これがキャノピー越しに見えるのが特徴、

そこで紙とプラ棒でそれらしくでっち上げています

後方の地色が濃いグレーのフレームはエデュアルドの余りパーツを使用したものです

計器盤もデカールでしたが前述の通り、全滅だったのでジャンクからの転用です

(恐らく、これもエデュアルド)

 

改造パイロットを乗せてみたところ

キットのものがダメダメだったのでいじっている内に、下半身がプライザー製に(;'∀')

しかも腰回りはプラ板製になってしまいました

 

【近況】

7月28日に処方されたアミトリプチリン塩酸塩錠です

(これ、メインはうつ病の薬でっしゃろ、ワテはうつ病やあらしまへんでぇ~)

「センセ、コレ飲み続けてもワテには効きまへんがなぁ~💦

クスリ替えてもらえへんやろうか、頼んますワ」

とお医者さんに訴えたら

「もう他の薬は有りまへん、後はペインクリニックにでも行ったらどないですやろ」

と云う匙投げた?返事

(ペインクリニックって、そりゃ緩和ケア、もうお終しまいってことじゃろ!?)

「ほなら、わしゃどがいすりゃあええんじゃあ~」

と訴えた結果、最初に処方されたタリージエOD錠5mgの

ミロガバリン(神経障害性疼痛治療薬)含有量が倍になった

タリージエOD錠10mgを処方されました

倍になったお陰だと思います

日中の痛みも軽くなり、夜中に痛みで目が覚めることもほぼなくなりました

早く元の日常に戻りたいなぁ~

注:「」内のセリフは標準語で交わされた会話を、エセ方言で脚色して書いています

   カッコ内はワタシの心の声で、絶対口には出していません(笑)

 

【続く】