まだ腰がイマイチ
朝はまだ体が硬いので、コルセットを付けて猫額畑の農作業をしています
本当に! 歳を取ると治りが遅くなりますよねぇ~(^^;
いつものパターンと違う手順
顔を仕上げる前に軍服を塗りました
毎回、悩むところなのですが、今回はNo132:土草食とNo43:ウッドブラウンを
混ぜ混ぜしたものを塗ってみました(^^;
シェフ(ウェイター?)はNo62:つや消し白とNo:33つや消し黒です
ここから最大の見せ場?お顔編です(笑)
左側がBeforeで、右がAfter・・・とはいかず塗装中と云うところでしょうか(^^;
ひげ
右腕が邪魔になってしょうがなく、一旦捥ぎ取りました(;'∀')
この腕はNo4 Rifleを握らせる工作も有りますので、まぁ仕方ないかと
酔っ払い
それにしても服のモールドが浅い(-_-;)
ワタシの塗装テクではごまかしが効かない風、貼り直しが必要かと思われます
シェフ(ウェイター?)
彼の場合は余りにも箱絵と似ていないので、モーターツールで皺を入れました
ですがねえ...
【どうでもいい話】
勢いと云いますか、惰性(慣性?)で英パラシュート兵が続いておりますが
前回のショルダータイトル絡みで、ノルマンディー戦時の装備品をちょいと紹介です
前回ご紹介したWikiの記事
https://en.wikipedia.org/wiki/Parachute_Regiment_(United_Kingdom)
にこんな写真が載っています
(IWM)
カーンですよ、カーン!、しかも
『umgehung Caen:Sud/Nord』(カーン迂回 南/北)
と云うドイツ語の道路標識が往時を感じさせて堪りませんね(;'∀')
手前の兵士を見て下さい
※HSATヘルメットはあご紐がキャンバス生地のMk2
※(Helmet Steel Airborne Troopの頭文字、パラシュート兵・グライダー歩兵用)
手にしているSTENサブマシンガンは、
フロントグリップとピストルグリップに、木製ストックが外見的特徴のMkⅤです
(ついでに書くとバヨネットも取り付け可)
HSATのMk2の場合、マーケットガーデン作戦頃からかと勝手に想像していたのですが
1944年6月にはもう着用されていたんですね
そしてSTEN MKⅤの場合は、もう標準装備になっていたのではないでしょうか
何故かってぇ~と、前回の終わりに載せた写真ですが
”D-DAY PARATROOPERS”に撮影時期が1942年の6月と書いてあったからなのです
が、ところが!
このWiki記事(Parachut Regiment)中の、IWM所有の元ネタ写真です
(中央の女性はアルバート王子(後の国王ジョージ6世)の奥さんのエリザベス妃
右端の女性は後の、あのエリザベス2世です)
手前のパラシュート兵の胸に見えるSTEN MkⅤのピストルグリップが確認出来ます
(IWM)
何と、こちらの説明には1944年5月だと書いてあるのです!?
細かい事ですが、STENのウッドストックは取り外してあります
弾薬入れも通常のものではなく、STEN専用の7連マガジンキャリアです
手前のパラシュート兵の腰にぶら下がっている拳銃は
グリップに弾倉の底部が見えるので、コルトM1911かブローニングHPですね
って、話がちょっと脱線してしまいました(;'∀')
そう、日付がアンマッチだという話です
今回参考にしたもう一冊の資料”British Army Uniforms & Insignia of World War Two”
こちらのP64にも、同じ元ネタから編集した写真を見ることが出来ますが
こちらの説明には、1942年6月にパラシュート徽章の取付位置が変更になった
と書いて有ります
その記述によると、1941年2月に制定された当初の規定では、パラシュート章は
右上腕の肩先と肘の中間に着用するようになっていたそうなのです
ところがそこには階級章(下士官の付けるシェブロン)を付けるようになっていた!?
そこで、1942年6月から着用位置が
右上腕の肩先から2インチ(約5cm)下の位置に変更された
という事なんですね。
”D-DAY PARATROOPERS”にも、写真説明の後半に同様の事が書いてありました
更に同書のP125には、1944年5月に第6空挺師団を訪問した国王夫妻と云う写真が有り
前掲の二人のエリザベスさんが同じ服装で写っているのです
(IWM)
やんごとなきお方が公式訪問で
服どころかアクセサリーも帽子も着回しというのはちょっと無いですよねぇ~(^^;
以上の点から、1942年撮影と云うのは間違いで1944年が正しい!
ではないかと考えられます。
シェブロンの上にパラシュート徽章を付けている、若そうに見える伍長は
1942年6月の着用位置変更指示前から、パラシュート連隊に在籍していた
ベテランだったのでしょうね
1944年の5月になってもそのまま付けているという事は
「オレはお前らとは違うんだぜ」と云う自信の顕れだったのかも(^^;
【続く】